名作とはなぜ『名作』なのか『かもめのジョナサン』

 

かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

 

 

非常に特異な名作である。

アメリカらしい単純さと今までの文学の集大成のような複雑さがある。

 

読みやすい文章なので、学生でも夏休みの読書感想文の宿題等になるかもしれない。

 

主人公は、タイトル通りのかもめのジョナサン

彼は『飛ぶ』ということに取り付かれており

朝も昼も夜も自分の飛び方について研究する。

 

そんなジョナサンに周りは反対して言う。

いいかい?ジョナサン。私たちが飛ぶのは食べるためだ。生きるとはそういうことだ。そうだろう?」

 

それに反対してジョナサンは言う。

僕は食べるために生きるのではない。飛ぶために生きるのだ。」と。

 

 

 

これはいかにも若者のよくある問題で

夢を追いかけようとする若者と

それに対して反対してくる

まわりの声を描いている。

 

いわゆる「夢だけでは食べていけない。現実の生活のことも

考えなくてはいけない。ちゃんとした仕事についてお金を稼がなければならない。」

という親子のよくあるパターンである。

 

 それに対して若者であるジョナサンが「夢に生きることが

自分の人生」なんだと言っているシーンである。

 

青春時代のありがちなワンシーンだが

この話はそこまで単純なものではない。

もちろんそういう青春時代の物語を表していることも確かである。

 

しかし、そのくらいでは特に名作といえるほどのものでもない。

なぜこの『かもめのジョナサン』が文学の集大成ともいえる名作なのか。

それはただ読んでいただけでは決してわからない。

 

文学というものは、長い歴史の間、

主人公が『考える人』のタイプであった。

人生についてあれこれ考え続ける人が主人公としての役目だった。

 

しかし文学者自体がこれを否定するのが、

もはや伝統の一つで

人生の問題についての解答としてよく表現している。

メーテルリンクの代表作、『青い鳥』もそうだ。

あれもまた鳥であり、かもめのジョナサンと重なる素材を使っている。

 

サモトラケのニケ』という彫像を

知っているだろうか?

戦いの女神アテナの右手に立つ、頭が全くなく、翼をもっていて

ニケ(勝利)という名を持つ。頭がない事を見てもわかるとおり、

頭脳というものが強く否定されている。

 

 因みにスポーツ用品で有名なナイキはニケのことであり、(NIKE

シンボルのあのマークはニケの翼を表している。

 

 文学史などの説明を端折って結論から入るが、

人生の解答というものは考えることによって解答されるものではないということだ。それはある種の行動によるという表現がなされている。

 

ノヴァーリスは『青い花』という、文字通り花で表現し、

それを参考にしたメーテルリンクは『青い鳥』という

より行動的な鳥に表現を託した。

 

 詩人ブレイクは、肉体の精サーマスをつくり、

ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で兄のドミトリーに

行動する人というキャラを表した。

 

それに影響を受けた太宰治が書いたのが

走れメロス』と言う走ることで肉体を表すヒーローである。

走ることで何かの問題を解決しようというような努力が見られるだけである。

 

しかしカモメであればそういった問題はない。

飛ぶこと=生きることの意味だと

直結させることができる。

しかもわかりやすくそのことを伝えることができる。

 

ただ多くの人に意味が伝わっているかどうかは疑わしい。

そういう評論も未だ見たことがないので1つ書いてみることにした。

 

私はリチャードバックの『イリュージョン』もなかなか好きなのだが

こちらは全く毛色の違う作品なのである。

 

非常に読みやすくすぐに読めるので長い夏休みがある学生などは

読んでみるのはどうだろう。

 

かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

かもめのジョナサン 完成版 (新潮文庫)

 
イリュージョン (集英社文庫)

イリュージョン (集英社文庫)