名作とはなぜ『名作』なのか・おすすめ名作『青い鳥』

 

 

青い鳥 (新潮文庫)

青い鳥 (新潮文庫)

 

 

青い鳥』はあまりにも誤解されているの

   でだいぶ前から気になっていた。

 

誰でもこの話を知っているけれども

正確に理解している人はほとんどいない気がする。

 

結論から言えば、

この話は日常にこそ幸せがあるという話ではない。

もっと複雑なテーマの話である。

 

だけどこの話はほとんどの人がそう思ってしまっている気がする。

どうして日本人というのはそういう方向に話を持っていってしまうのだろうか。

 

 

 

 

 

この『青い鳥』というのが

幸せというものを象徴しているのは確かだ。

 

だからこの話が『幸せとは何か』ということをテーマとしているのも確かである。

しかしそれは日常こそが幸せだという話ではない。

 

 

物語の筋はほとんどの人が知っているので

解説からすぐに始めていこうと思う。

 

わかりやすく結論から言ってしまえば

これは幸せというのは物の見方、捉え方、感じ方から来るということである。

 

 物語は主人公のチルチルとミチルの

隣の家のベルランゴおばさんの娘が病気になったことから始める。

その病気を治すためには青い鳥が必要であると言う。

 

そしてこの1番初めの部分から

実はチルチルとミチルの青い鳥は

登場しているのである。

 

チルチルは「青い鳥ならウチにもいる」と言う。

しかしベルランゴおばさんは

あれはあんまり青くない。」と言う。

そこでチルチルとミチルは青い鳥を探しに出かけるのである。

 

しかしこの青い鳥こそが

結局最後に出てくる青い鳥である。

ということも誰でも知っている。

 

 しかしなぜ最初に登場したときに

「あれはあんまり青くない。」ということになるのだろうか。

 

 それは実はこれが本当の青い鳥であるということを

見抜く能力が彼らにないということを表している。

 

何が本当の青い鳥か、

つまり何が本当の幸せかということについて

彼らは見抜く力がまだないのである。

 

つまりそれを見抜く能力を

手に入れるための物語なのだ。

 

物語には実は青い鳥がいっぱい出てくるのである。

そして捕まえるたびに途中で赤い鳥になったり黒い鳥になったりする。

 

つまりこれは本当の青い鳥では無いということだ。

 これらの試行錯誤をチルチルとミチルは何度も何度も繰り返さなくてはならない。

 

 

  そして結局いろいろがんばってみたけれども

青い鳥を捕まえることができなかったということで

家に帰ってみるとそこで探していた青い鳥をついに見つける。

 

青いとは何か、つまり幸せとは何かということを

見抜く能力をつけたために

青い鳥はここにいたということを

理解することができたという事なのだ。

 

しかしこれは家の中にこそ幸せが

あるという単純な話をテーマにしたものではない。

 

例えば分かりやすい話として、

子供の頃はコーヒーやお酒やタバコなど

おいしいどころかマズイと思う。

大人はなぜこんなものが好きなのか

『これの何がいいの?』と思う。

 

ところが大人になってしまうと

『こんなにうまいものがまたとあろうか!』

いうくらい夢中になってしまったりする。

 

コーヒー好きはコーヒーの道具を集め、酒好きは

何万円もする酒に金を払うようになる。

 

こういう経験は大体の人にあるだろうけれど

しかしこれが名画とか名音楽とかはたまた名作とかに

なるとどうだろうか。

『これの何がいいの?』ということが結構多くあるのではないだろうか。

 

先日、『開運なんでも鑑定団』を見ていた時に

絵の具をぶちまけたような絵が出てきて

その絵がかかっている病院の看護師たちは

これの何がいいのかさっぱり…でも

いつもそこにあったので』と

まさに青い鳥のような話が出てきた。

 

 そんな看護師たちに対して院長だけが

「これを描いたのは並の画家ではない。」とかなり確信を持って語っていた。

 

そしてこれが非常に有名な画家のもので、

すごく高額な値段が出たので『ほらみろ』と言わんばかりに

「君たちももっと絵を見たまえ。」とドヤ顔で院長は語っていた。

 

つまりそういうことなのだ。

たとえ素晴らしいものが目の前にあったとしても

それを理解する能力がなかったらそこには

何もないのと同じになってしまうのである。

 

そしてこの院長の言う通り

そういったものを見抜くには

訓練というものが必要なのだ。

 

一見すると、青い鳥は家にいた、というのは『なーんだ』と思うような

単なるオチに見えてしまうかもしれない。

 

しかし、高価な絵や骨董品が家にあるのに

全く気づかずスルーしてしまうという事実もザラにある。

 

ゴッホの絵は今でこそ

何十億円という金額で取引されているが

生前に公式に売れたのはたったの1枚である。

(『赤いぶどう畑』という絵である。)

 

それまで個人的にプレゼントしていたりした

彼の絵は鳥小屋の穴を塞ぐために使われていたなど

悲惨な扱われかたをされていた。

 

青い鳥が家にいた、というのも重要ポイントだ。

幸せというのは探しに行くような『出来ごと』ではなく

自分のものの捉え方にある。というのが

この話の最終的な結論と言える。

 

 

そして、チルチルとミチルはめでたく青い鳥を捕まえ、

ベルランゴおばさんの娘の病気は治って

チルチルとミチルの下に元気になって走ってくるというところで

エンディングに至る。

 

 

 *訳者の堀口大学も明らかにこの話をやはり例の如く誤解しており、その為彼の訳は所々間違っていると思う。私は『青い鳥』を別の訳者で持っていたが、引っ越しの際に失くしてしまい詳細が思い出せずその本を紹介出来ない。 m(_  _)mスマソ

 

メーテルリンクは「一見何の変哲もないこの青い鳥は哲学書の1ページを翻訳するより難しいのですと言っている」しかし邦訳をした何人かが「原作には矛盾点があって訳文の中で修正した」というようなことを書いていて、自分たちの解釈のほうに何か問題があるとは考えないのだろうかと思ってしまう。

 

*最後青い鳥が飛び立ったということになっているラストとそうでないラストがあるのだが内容からすると飛び立ってしまった方が正しいと思われるがとにかく訳者によって物語が違ってしまっていることが多い。

 

青い鳥 (新潮文庫)

青い鳥 (新潮文庫)

 

 

 この『青い鳥』の前身となった話がこの『青い花』という物語である。

これは、ノヴァーリスという詩人が書いた話で、夢で見た美しい青い花

追いかけるという話で、古典の名作である。

 

青い花 (岩波文庫)

青い花 (岩波文庫)