名作とはなぜ『名作』なのか。オススメ名作『おおきな木』

 

おおきな木

おおきな木

 

 

この話を知らない人に内容を紹介したいが

どうしようかとだいぶ迷ってしまったが、略式でやってみた。

 

『おおきな木』

 

あるところに一本の木がありました。

その木は

1人の少年のことが大好きでした。

少年は毎日木の下にやってきました。

 

少年はその木が大好きでした。何よりも誰よりも。

そして木は幸せでした。

 

しかし少年はだんだん来なくなりました。

ある日少年がやってきて木は言いました。

 

「いらっしゃいぼうや。一緒に遊びましょう。」

少年は「もう木に登って遊ぶ年じゃないよ」

「ぼくはお金がいるんだ。お金をちょうだいよ。」と言いました。

 

りんごの木は「ごめんなさい、お金はないの。

私のりんごを売りなさい。そしてお金にかえなさい」と言いました。

 

そして少年はあるだけのりんごを持っていきました。

そして木は幸せでした。

 

またしばらくして少年が来ました。

木は幸せに体を震わせ

「いらっしゃい坊や、私と一緒に遊びましょう」と言いました。

 「僕にそんなヒマはないよ」と少年は言いました

「僕は家が欲しいんだ。奥さんと子供も欲しい。僕に家をちょうだいよ」

 

りんごの木は

「ごめんなさい私に家はないの。でも私の枝で家を作ればいいわ。

そして幸せになりなさい。」と言いました。

 

そこで少年は枝を切って持っていき、それで家を建てました。

そして木は幸せでした。

 

長い間少年は姿を見せませんでしたが

やがてまたやってきたときに木は口も聞けないくらいに幸せでした。

「いらっしゃい坊や。私と一緒に遊びましょう。」と木は言いました。

 

少年は「僕は遊ぶには歳をとりすぎているし、心が悲しすぎる。」と言いました。

 「僕は船が欲しい。ここじゃないずっと遠くに行きたい。僕に船をちょうだいよ。」

 

りんごの木は「では私のミキを切って船を作りなさい。

                          そして幸せになりなさい。」と言いました。

 

そこで少年はミキを切り倒し船を作って遠くへ旅立ちました。

そして木は幸せでした。

 

でも木は本当は幸せではなかったのです。

 

長い間、少年は姿を見せませんでしたがまた戻ってきました。

 

りんごの木は言いました。

「ごめんなさい。私はもうあなたにあげられるものは何もないの。

ただの切り株になってしまった。」

少年は「僕は特に何も求めてはいない。ただ休む場所が欲しいだけだ。」

そこで木は「では私に腰をかけて休みなさい」と言いました。

少年は言われた通りにしました。

 

そして木は幸せでした。                                     

                       

私は学校で習っただいぶ省略されていたらしくこんな感じだったのだけれど。

やはりこれは原作を読んでみることをお勧めする。

 

名作というテーマから語りやすいのはなんといっても童話である。

 

できれば子供の頃に読んだ童話を読み返すのをお勧めする。

童話というのは子供の頃にも結構面白いと思うものだが、

大人になると全く違う視点から見えて面白い。

 

大人になると童話というのは『親子の話』なんだなということがわかってくる。

この『おおきな木』もそうだ。

 

私は高校生の時、この話を英語の教科書で学んだのだが

なんだかリンゴの木がかわいそう』という

しんみりした空気で教室を満たされたのを覚えている。

 

 

私もやけに印象に残った話だったので、

家に帰って、この話をしたところ

それは親子の話だね」と兄が 言ったのを

聞いてはっとした。そういうことだったのか、と。

 

親は子に自分の持っている全てをあげてしまう。

自分自身の何もかもを。

それも全ては愛情のために。

それでも子供が老人になって帰ってきて

自分のところにいてくれれば幸せなのかと。

 

私はその時、全く違う視点を持てたような気がした。

親子というものを

特に自分の親子関係をそんなふうに考えたことがなかった。

高校生だったし。

 

ここに物語の名作の特徴というものがある。

はじめはただの物語と思って読んでいる。

気晴らしにもなり、面白いものでもあるし。

 

しかしただそれだけのものではなく、

これは自分の事でもあり、すべての人間の事でもあると

気づいたその時、その物語を全く違う思いを持って再び読む気になる。

これが名作というものである。

 

名作というものは普遍的なテーマを扱っているものなのだ。

それは自分の子供の頃であり、自分がやがて大人になっていくだろう物語でもある。

自分以外の全ての人の話でもある。

 

 そしてただ物語と思って読むからこそ気軽に読めるし

心からかわいそうと思うことができる。

しかしそれがまさに自分の物語なのだと思った時

心から気軽にかわいそうと思えない複雑な気持ちが色々と湧いてくるものだ。

 

他人事と思うからこそ心からの共感がしやすい。

それが突然自分のことだと気づいたとき

それが真実なのかと思い

否定しがたい気持ちになり、認めがたい気持ちになり

切なくやるせなく親子とはこうも残酷なものかと思う。

 

自分のいろいろな思いが入るために

物語がただの『お話』ではなくなってしまうのである。

自分の思いが物語とともに膨らんでしまう。

それがまた物語の意味を豊かにもする。

 

ところで物語の意味がわかるともう一度読み返したくなるような不思議な気持ちにならないだろうか。

 

一度読んだだけでもそれなりに面白いと思うだろう。

そして謎めいた雰囲気に不思議な気持ちになる。

 

そして謎が解けたとき新しい世界を知ったような

またなんとも魅力的な曰く言い難い

気持ちになるのである。

 

 

名作といえば感動できる話とか

そういう印象を持っていた人がほとんどだと思う。

もちろんそういう中にも名作は多いし

別にそれを否定しているわけではない。

 

しかし歴史上の名を残す名作というのは

いわばただ感情を動かされるだけのものではなく

根本的な意味での深イイ話なのである。

 

 

 

おおきな木

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