名作とはなぜ『名作』なのか。おすすめ名作『アナと雪の女王』

 

 

アナと雪の女王 (字幕版)

アナと雪の女王 (字幕版)

 

 

 

アナと雪の女王 (吹替版)

アナと雪の女王 (吹替版)

ジブリはわかるけどアナ雪って何?」

とマツコデラックスがテレビで言ってたのを聞いたとき

これは日本人の多くが思ってることだろうなと思った。

 

空前の大ヒットを飛ばした「アナと雪の女王」。

あの名作は何をもって『名作』というのか

多くの人にはピンとこなかったのではと思う。

 

アナ雪は日本では大いに誤解されていると思う。

なぜこれがアカデミー賞をとるほど評価されるのか

さっぱりという人も実は多いだろう。

 

一見すると家族仲良くしようという話にも見える。

しかしこの話はそんな単純なものではなく

大変奥深く格調高い話である。

 

なので批評してみようという気になった。

 

大ブームとなった「レリゴー」。

映画公開されるまでに『ありのままの〜♫』のメロディーが

あちこちに流れたほどだ。

 

主人公のエルサは

自分の超能力が妹を傷つけてしまい

それがトラウマになり、ひきこもって自分を封じ込めようとする。

そこから話が始まる。

 

エルサの妹であるもう一つの主人公アナ。

彼女は傷つけられたものの何ら恨んでいるわけでもなく

姉と何とかうまくやろうと苦心する。

 

しかし実は彼女はトラウマを持ってしまっている。

彼女の髪は一房だけ白くなってしまう。

画面をよく見ればわかるだろう。

 

頭は簡単に変えられるが心を変えるのは難しい。」と謎の妖怪が言う。

「夕飯なに食べた?」と聞かれると意外と思い出せない。

しかし好きな食べ物などはそうそう変わらない。

 

 

       本人の心は環境が変わってもそうそう変わらないもの。

   アナは自分が傷ついたことを覚えてはいないが、

実はトラウマになって残っている。

 

自分を抑えているのも限界に達し、エルサは山奥に逃げてくる。

そこでありのままの自分でいる喜びを見いだす。

 

      この歌詞が一般的で親しみやすいけど下の方が正確な訳らしい。

確かに意味が違ってくる。 

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そこで彼女は女王である事を表すマントを脱ぎ捨て、王冠を投げ捨てる。

君主でいるよりもありのままの自分でいる方が

大事なのだということが表現されているのは間違いない。

 

「どこまでやれるか自分を試したいの」と言うように

思う存分力を発揮し自分の城を築きあげる。

 

これがエルサの出した答えである。

 

たとえ一人きりであろうともあるがままの自分を選び

「少しも寒くないわ」とその表情も態度もふっ切れたように迷いがない。

     ここで、エルサの話は一旦終了する。

 

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もう1人の主人公アナ。

この話ではエルサが非常に脚光を浴びているので

アナの存在が霞んで見えるが

アナはエルサに負けず劣らず重要である。

ここからはアナの活躍を見ていこうと思う。

 

 エルサを追いかけるアナは残念ながら彼女の問題を軽く考えすぎている。

何とかなるでしょう』と言わんばかりに

「だって姉さんだもの」と言う

エルサの力は思う存分発揮したために

どんどん世界が冬になっていき夏だったはずの世界が猛吹雪で荒れ狂ってしまう。

軽く考えてはいてもアナも

『何とかせねば』とは思っている。

 

「もうなんでこんなに寒いのよ」

と、アナは山小屋の店に入る。

 

そこで「日焼け止めいらないか?」と勧められる。

猛吹雪の中、もちろん日焼け止めなどいるはずもない。

しかしこのエピソードは割と大事である。

 

およそ映画作りというめんどくさいことに

気合を入れる人々が

無駄なシーンなど作るわけもない。

どんな意味があるのだろうか。

 

日焼け止めとは主に夏に使うものだ。

つまりこの世界は本来今夏なのである。

 

この世界を冬にしてしまったのはエルサである。

暴走気味のエルサの力がついに夏までも冬にしつつある。

 

ここまでくれば冬を代表しているのはエルサとわかる。

ならばその姉を止めようとするアナは

正反対の夏の世界を代表していると言えないだろうか。

 

ゆえにこの話はダブルヒロインなのである。

 

ここに突然やってくるのは

クリストフという氷業者である。

 

氷業者という時点で

彼は冬の世界の人間であることがわかる。

 

 「氷は素晴らしい」と言うギャグ主張をする。

ここで彼が自分の仕事に忠実な

人間だということがわかる。

 

ここで1番最初のシーンを思い出してみよう。

それは氷を切り崩しているシーンだ。

それを少年時代のクリストフがうっとりと見ている。

 

何しろ1番最初のシーンは

観客が1番注目するところだ。

それが大事でないはずはない。

氷にどんな意味があるのだろうか。

 

氷といえば思い浮かぶのはエルサである。

氷はエルサの大事な何かを表していると言えないだろうか。あるがままの自分こそが何よりも大事と言うのはエルサの答えである。

 

何よりも大事なもの、

変えられないもの、変えてはいけないもの、

硬いもの、砕けないもの、

これこそが氷の表しているものである。

 

つまりエルサの出したあるがままの自分というものこそ

最も大事なもの、

すなわち砕けない氷が意味しているものである。

 

アナと雪の女王と言う題名は日本のもので

原題は『Frozen』(フローズン)である。凍っているものとでもいうべきだろうか。

 

そこから連想されるものはやはり氷の魔法を操るエルサである。

しかし彼女は魔法をコントロールすることができず

力を暴走させてしまい、夏のはずがFrozen、

冬になってしまったのである。

 

つまりこの世界全体がバランスを崩しているのだ。

ここまでくれば話のテーマが見えてくる。

 

アナと雪の女王』とは

二人の君主が自分たちの国を治めるのに

ふさわしい資質を手に入れるための

苦闘を描いたドラマだということを。

 

エルサの出したあるがままの自分というものこそ最も大事なもの。

すなわち氷が意味しているものである。

 

そうするとアナの存在はなんだろうか。

最も大事なものはこれだという答えが出た以上、もうそれでいいはずだ。

 

 なのに世界はバランスを欠き、ハッピーエンドになっていない。

ここで冬とは何かという話を離れて夏とは何かという方向に目を向けてみよう。

 

ここでオラフという雪だるまと出会う。

雪だるまである以上、冬の存在である事は確かだ。

にもかかわらず冬よりも夏が好きという謎の歌を歌う。

 

雪だるまなのだから夏になったら

溶けてしまうにもかかわらず冬よりも夏が好きというのは

雪だるまである自分を否定するようなものだ。

 

   しかもこのオラフという雪だるまは

エルサによって生み出された存在だ。

エルサはあるがままの自分こそが最も大切だと言う。

 

にもかかわらず生み出したオラフは夏が好きと言う自己否定的な歌を歌う。

わかってくる事は夏と冬の両方の持っているのが理想らしいということ。

 

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   冬だけの存在、夏だけの存在ではダメらしい。

なら問題が解決しないのは

エルサが冬だけの存在、

アナが夏だけの存在でいるからでは

ないのかという方向に進む。

 

しかし正反対の存在をどうやって手に入れるのだろうか。

 

 アナとエルサはようやく再会する。

しかし、アナはけんもほろろに追い払われる。

冬はますます猛威をふるい

ついにエルサは国にとって

危険人物とみなされとらわれてしまう。

 

ともに憎み合っているわけではないのにともに追い詰められてしまう。

 

全てを解決するカギ、

それは『真実の愛』であるらしいと

いうことをアナは知る。

 

しかしアナは自信を失いかけ、

力なく真実の愛どころか「愛が何かもわからない…」とつぶやく。

 

彼女は愛が全てを解決すると思い

結婚を誓い合ったハンスとキスしようとする。

ところがハンスは彼女を愛してなどおらず

アナを騙しうまく利用しようとしていたことを知る。

 

愛し合っていると思っていたハンスに裏切られ、

結局エルサともうまくいかない。

 

アナは少しずつ希望を失っていく。

そして彼女のひと房だけ白かった髪はだんだんと全体に広がってゆく。

 

かつてのトラウマが蘇り、いつの間にか本人自身を蝕んでいるのだ。

不吉な兆候がアナに起こっている。

 

彼女はもはやどうして良いか分からず

ただ1人の自分の味方である男、クリストフの名を呼ぶ。

 

そしてクリストフも駆けつけるが

その瞬間ハンスがエルサを殺そうとするのアナは目撃する。

 

アナはクリストフと抱き合うのを思いとどまりエルサを助けに走る。

 

その瞬間、完全に絶望し凍りついてしまうけれど

その時にこそ『真実の愛とは自分よりも

相手を大切に思う事』ということを

まさにここでアナは実現することができるのだ。

 

そしてエルサを殺そうとする刃は砕け散る。

まさにクライマックスにふさわしいワンシーンである。

ここで見落としやすいのが冬の勢いが止まることである。

 

エルサの力がここでまるで何かに気づいたかのごとく変わるのである。

そこの時にこそ全てが変わる。だが一体何が変わったのだろうか。

 

エルサはアナの愛の深さに涙し彼女を抱きしめる。

すると凍り付いていたはずのアナがみるみる元に戻る。

 

「そう…愛よ」

と言った瞬間に真冬だったはずの国に

一気に夏が戻ってくる。

 雪はやみ、空が現れ、花が咲き、鳥が歌う。

 

愛とは、共に尊重し合うこと、共に喜び、

互いの違いを認め合う。

 

「あるがままの自分」が否定される事は許されないのだから

それは決して自分だけの問題ではない。すべての人間の問題なのだ。

 

だから「あるがままの自分」と「真実の愛」はセットでなければならない。

 

決して片方だけであってはならない。

だからこそこの話はダブルヒロインになっている。

 

非常に整合性のとれた実によく考えられた格調高いストーリである。

 

正反対のものがセットになるからこそ本当のハッピーエンドが訪れるのだ。

 

冬だけ、夏だけであってはならない。

「あるがままの自分」を認めるからこそ他人のそれも認めなければならない。

「ありのままの自分」であればこそなのだ。

 

このことが意外と注目されなかったような気がしてならない。

レリゴー」に比べて「真実の愛」というものが

クライマックスに至らしめたにもかかわらず

いまいち話題にならなかったように思われる。

 

正直、製作側のエルサびいきを感じる。

エルサが自らの答えを出したとき

美しく生まれ変わり新しい自分となったときに

話の顔ともいえる歌を歌ったのにアナには何もない!

 

アナもまた新しく生まれ変わり

真実の愛」を象徴するような

重要な歌があってしかるべきだと思う。

 

そしてエンディングには、

その2つを統合したような第3の歌を歌ってもらいたい。

ここまでやるスタッフなら

そこまでやってもらいたいものだ。

 

ところで今日「アナと雪の女王」がテレビ放送される。

奇しくも同じ日にブログを書いてしまった。